2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

山籠り生活作法?洗浄(その3)正法眼蔵(29)

198洗浄センジヤウ(つづき) 次に洗手すべし。右手に灰匙クワイシ(灰を掬う匙)をとりて、先ず掬ひ て瓦石グワシヤク(瓦か石の磨石)の表に置きて右手をもて滴水を点じ 触手を洗ふ。瓦石に当てて研ぎ洗ふなり。斯くの如く灰にて三度洗 ふべし。次に土を置きて、水を点じて洗ふこ…

山籠り生活作法?洗浄(その2)正法眼蔵(28)

192洗浄センジヤウ(つづき) 東司に到る法は、必ず手巾を持つ。手巾を二つに折りて、左の肘の上 に当りて衫袖サンシウ(広長袖の上着)の上に掛くるなり。既に東司に到 りては、浄竿ジヤウカンに手巾を掛くべし。掛くる法は、臂ヒヂに掛けた 193 りつるが如し。もし九条七条等の袈…

山籠り生活作法?洗浄(その1)正法眼蔵(27)

185洗浄センジヤウ 身心を洗い浄めることが仏法である 染汚ゼンワすることは即ち不得フテなり。 186 浄身とは、大小便を洗い、十指の爪を剪キるなり。ただ身心を浄むる のみにあらず、国土樹下ジユゲをも浄むるなり。 187 水を以て穢ケガレを滌ススがんには当マサに願ふべし。衆生浄…

仏行の生活作法?洗面(その3)正法眼蔵(26)

131洗面センメン(つづき) 前段(つづき)と、洗面そのものの手法 而シカウして菩薩頭陀を行ずる時、及び遊方ユハウ(行脚)の時、百里千里 を行来ギヤウライせんに此の十八種物(三衣を三に数える)常に其の身 に随ふべし。この十八種物、一つも虧闕キケツすべからず。 132 楊枝すでに第…

仏行の生活作法?洗面(その2)正法眼蔵(25)

122洗面センメン(つづき) 初めに手巾のタスキ掛けの要領! 洗面架に到り手巾の中分チユウブン(中ほど)を項ウナジ(頚の後ろ)に 123 懸く。(両端を左右の肩より、前に曳いて、左右の脇より後ろえ出し 後ろで各々引き違え、左の端を右へ来たし、右の端は左に来たして、 胸の前で…

仏行の生活作法?洗面(その1) 正法眼蔵(24)

113洗面センメン 仏行としての洗面の手引 以油塗身イユヅシン(油を身に塗り)澡浴塵穢サウヨクジンエ(洗い清め)著新 浄衣ヂヤクシンジヤウエ(浄い袈裟を着)内外倶浄ナイゲクジヤウ(内外共に清 らか)。身心を「澡浴」して香油を塗り「塵穢」を除くは第一の仏法。 117 仏言「三沐サンモク(洗髪)三薫サン…

陀羅尼? 礼拝と焼香!  正法眼蔵(23)

102陀羅尼ダラニ 総持、能持 善法(礼拝)護持を説く? 103 大陀羅尼は人事ニンジ(叢林における挨拶)これなり。人事は大陀羅尼 なるが故に、人事の現成に相逢サウフするなり。その人事は焼香礼拝ライ 104 ハイなり。本師に必ず依止奉覲エシブゴンする。これ諮参シサン(諮問参学) の陀…

仏道?密語?無情説法?  正法眼蔵(22)

P11仏道ブツダウ 仏としての行き方を学ぶ P18 大宋の近代、妄称禅宗の名を聞きて俗徒多く禅宗と称じ、達磨宗と 称じ、仏心宗と称じ、妄称競キホい風聞して、仏道を乱らんとす。これ は仏祖の大道かって未だ知らず、正法眼蔵ありとだにも見聞せず、 信受せざる輩の乱道な…

栢樹子?三界唯心?ほか 正法眼蔵(21)

393栢樹子ハクジユシ 真際大師は、六十一歳にして初めて発心し、家を出でて学道す。この とき誓ひて曰く「仮令百歳なりとも、我よりも劣れらんは、我れ彼を 教ふべし。仮令七歳なりとも、我より勝れば、我れ彼に問ふべし」。 恁麼誓ひて、南方へ雲遊す。 397 或時、衆に示し…

道得?神通?阿羅漢?ほか 正法眼蔵(20)

282道得ダウテ 修行を体得できたか? 「道得也未」ダウテヤミ(真実を道イい得たかどうか?)と問取するなり。 「心にても問取す、身にても問取す」。その道得は、他人に随いて得 るにあらず、我が力の能にあらず、ただ正に仏祖の究弁キウハンあれば 283 仏祖の道得(修行)あるなり。…

袈裟の作法、糞掃衣正伝! 正法眼蔵(19)

261伝衣(つづき) 塔袈裟法タツケサホウ 偏袒右肩ヘンダンウケン(右の肩を袒カタヌぐ。 修行者の一般的な塔カけ方)は常途ジヤウヅの法なり、通両肩塔ツウリヤウ ケンタ(両肩に通じて塔ける。如来の塔け方)の法もあり。263 袈裟を受持すべくは正伝の袈裟を正伝すべし、信受すべし。 仏道は仏…

袈裟の供養で、福徳招来!正法眼蔵(18)

247伝衣デンエ 仏々正伝の衣法エホフ、袈裟と共に伝わる 諸代の帝王、相次ぎて内裏に請入シヤウニフして供養す。唐朝の中宗・粛 248 宗・代宗、しきりに帰内キダイ供養しき(内裏に迎えて供養した) 請ずるにも贈るにも、勅使を遣わし、詔を給う。即ちこれ重くする 儀なり。 249 哀…

看経作法?諸悪莫作?ほか 正法眼蔵(17)

205看経カンキン 経を読むこと 阿耨多羅三藐三菩提アノクタラサンミヤクサンボダイ(完全な悟り無上の正覚)の 修証、あるいは知識を用ゐ、あるいは経巻を用ゐる。 経巻には、念経ネンキン(意味を考える)・看経(黙読)・誦経ズキヤウ(声を 出して読む)・書経シヨキヤウ(経の書写)・受・持経ジユ・ヂキヤウ(…

山水経?について学ぶ  正法眼蔵(16)

184山水経サンスイキヤウ 自己の正体? 而今シキン(今我々が生きている処)の山水は、古今の道現成ダウゲンジ ヤウなり(道が実現している) {玉木康四郎の現代誤訳:正法眼蔵} 185 山は備はるべき功徳の虧闕キケツする(欠ける)ことなし。このゆえに 常安住なり、常運歩なり。 192 水…

仏向上事?夢中説夢?ほか 正法眼蔵(15)

128仏向上事ブツカウジヤウジ 仏になって、更にその先の仏としての修行 仏向上の事を体得して、方マサに些子シヤス語話の分有り(些か言葉で話 す資格がある)「如何ならんか是れ語話」、「語話の時、闍梨不聞ジヤリフ モンなり(仏向上の時、既に、闍梨という修行者は、聞き手ではない)。…

画餅?渓声山色?智慧を聴く! 正法眼蔵(14)

P97画餅ワヒン 画に描いた餅は、飢えを充たすものではない 101 餅も一身心現なり(身心全体で餅=さとりを現成している)、青黄赤 白、長短方円なり。一切諸仏は皆画仏なり、一切画仏は皆諸仏なり。 107渓声山色ケイセイサンシヨク 感覚としてではなく、自身の仏の声? 東坡居士…